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夢への階段は、帰るべき場所へと繋がっている──TVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第12話『花ひらく想い』感想

 題名の通り、TVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第12話を観た。思春期中期を生きる少女の人生が変わる特別な瞬間を力強く、爽やかに切り取るビビッドな仕上がりに息を呑んだ。それはそれとしてハマったカップリングが決別するシーンを見るのが辛すぎて観直すのに4日掛かった。

 他愛のない前置きは早々に切り上げ、本題に入ろうと思う。

 

 最高の”今”を、その先の”未来”を謳うことで、零れ落ちてしまう”過去”があるのではないか。

 ”大好き”の衝突から始まった、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の解体と再構築。その縮図を個人間で描きなおす第12話は、まさしくスクールアイドルフェスティバル開催に向けた本作の「結び」を飾るに相応しいエピソードだった。

 

 過去と未来、幼さと成熟、あなたとみんな。いずれか一方を是とするのではなく、複雑に絡み合って諦められないそれこそが思春期のスケッチなのだと。停滞と前進の狭間で身じろぎする上原歩夢さんを一種の"正しさ"に引き上げるのではなく、ただその胸に宿る”大好き”を解きほぐしてそっと背中を押す、虹ヶ咲らしい優しい筆致。前向きであたたかく、それでいてどこか切なさが香る、ジュブナイルの真髄を見た。

 以下、感想文の書き方をすっかり忘れてしまった哀れなオタクの、読解ともつかぬ文字起こしめいた雑感を書き連ねていく。

 

 

 事件の翌朝。昨夜の出来事が嘘のような青空と、されど厳然たる事実として残された爪痕と共に、フィルム缶の封は切られる。

 

 知っての通り、Bパートで明かされる上原歩夢さんの本心、本話の争点は11話までの物語で私含め多くの視聴者が想定していたであろう公平性と独占欲の二項対立ではなく、自らもまた公平性に向かいつつあることを上原歩夢さんがすでに自覚しているがゆえの、アイデンティティの崩壊、不明瞭な未来への恐れ、羽化への葛藤である。思えば10話のプールサイドのシーンでおそらく暗喩として描かれた「高咲侑さんと上原歩夢さんの背後で離れゆく浮き輪」という構図においても、停滞する一方が取り残されるのではなく、両極の磁石のように二者が遠ざかるヴィジョンが投影されていた。

「私、ゆうちゃんだけのスクールアイドルでいたい。だから、私だけのゆうちゃんでいて?」

 この真意は文字通り「ゆうちゃんだけのスクールアイドル」でなくなろうとしている自分を「あなた」に過去から繋ぎ止めていてほしいという懇願。一本の足を縋るように挟み込む両の足──高咲侑さんの歩みを封じ留める足枷は、その実彼女を縛ることで他でもない自分自身を過去に押し留めるものだったのだ。

 歩夢を見ていればそれで満たされていたはずが「みんな」を応援する楽しみを知り、広がる世界の中で自分も変わりたいと望む高咲侑さんと、ゆうちゃんだけに見てもらえればそれで満たされていたはずが「みんな」に応援される喜びを知り、広がる世界の中で自分が変わってしまうことに戸惑い、怯え、立ち竦む上原歩夢さん。なんとも皮肉な対比である。

 

 そして、不意に鳴ったスマートフォンのバイブレーションにより上原歩夢さんは激情を潜め、一方的な「正しさ」を取り戻してしまう。

 理性からの警告に喩えられるこの振動音は諸説あるが、上原歩夢さんの懸念から逆算するに「少なくともベッドで組み伏せられている高咲侑さんからもたらされた通知ではない」ことが肝要だと考える。コンタクトツールは他者との繋がりを否応無しに可視化するものだ。二人ぼっちに沈む自分だけが本当の私だと思い込んでどんなに目を塞いだとしても、今更消すことなどできない、上原歩夢さんの中に芽生えてしまった「みんな」の存在が、外へ向き始めた気持ちが、閉じた世界の停滞に留まることを許さない。クソゲーのスタミナ全回復通知とかだったらどうしよう……)

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194202p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 非日常に触れようとする高咲侑さんに腕を絡ませ、強引に日常へと引き戻す上原歩夢さん。階段の下で平然と交わされる「おはよう」が、一見恙無く進行している日常に、どうしようもなく噛み合わない不気味さを感じさせる。

 思い返してほしい。第1話で示された、二人の一日の始点はどこであったか。出ないモーニングコール、メッセージアプリの通知音にほんの少しだけ弾む表情、隣り合ったベランダで交わす「おはよう」──そこに二人の「あたりまえ」を見ていたのではないか。(振り返るたびに強く思うが、たった数十秒の描写であれほどまでに「幾度も繰り返された生活描写」の質感を抽出しているのは本当に凄まじい。)

 たった一歩、されど一歩。決定的に合わない歩幅が、歯車の軋む音が胸を締め付ける。

(驚くことに)TVシリーズ12話にして初めて、上原歩夢さんがモノローグに乗せた想い。「離れたくなんて、ない」──「離したくない」「離れないで」を含みながらも、入り交じった感情から彼女が選んだ言葉は変わっていく自分自身に向けられた怯えであり、祈りだ。

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194110p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 ファンの応援を素直に受け止められず一人足踏みする上原歩夢さんを捉えたカットにはずっと遠く閑散とした、世界に取り残されるような孤独な情景が滲む。上原歩夢さんが「みんな」との”これから”を想えば画面奥のゆりかもめが前向きに進み、「あなた」との”これまで”を想うと逆行する、細やかな心情描写が走る。

 激情の発露として幼馴染を押し倒した一件を恥ずかしいの一言に丸める豪胆さには思わず口角が上がってしまうが、「幼さ」を内包しながらもそれを「幼さ」だと自認し恥じてしまう、変容の過渡期にいる彼女の半端な精神成熟がここにも表れている。 

 その後の攻防戦と一時撤退までの流れは、明暗のコントラストや役者の演技力も合わさり非常に緊迫感のある仕上がりとなっていたし、牙城を崩せず目を伏せる高咲侑さんが上原歩夢さんに掛ける言葉が「行こっか」なのがまた良い。

 上原歩夢さんは自分の知らない輝きを拾い上げてくれた何人ものファンを、「新しい大好き」を置いて過去には戻れないし、高咲侑さんもずっと昔から目の前で輝いていてくれたたった一人の幼馴染を、「変わらない大好き」を置いて未来には進めない。上原歩夢さんが立ち止まれば高咲侑さんもまた足を止めて振り返る、ふたりはそういう関係性で進んできたのだ。

 

 翌朝、高咲侑さんからのメッセージに重い身体を起こす上原歩夢さん。冒頭では「みんな」からのメッセージ(仮定)に目を覚ました上原歩夢さんが、Bパートでは「あなた」からのメッセージに(字義通り)目を覚ますという構図も、振り返ってみれば見事な伏線である。

「どうしたらいいのか、わからないよ……」

 リアタイで見てたオタクもどうしたらいいのかわからなかった。

 

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f:id:kiraramax360yen:20201224194448p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 眼前に広がる景色を、夢を、”大好き”をまっすぐに見据えて進んでいく優木せつ菜さんと、俯き、迷い、足を止める上原歩夢さん。対照的な両者を、点字誘導ブロックが隔てる。

 ついに溢れた上原歩夢さんの本心の前に、不器用なほど一直線な、飾り気のない情熱の拳が突き出される。

 胸に灯ってしまった”大好き”という炎は止まらない。止められない。優木せつ菜さんはそれを誰よりも知っている。

 そして”大好き”を信じ貫いて生きる者は、時に残酷なほど眩しく、輝いている。上原歩夢さんはそれを誰よりも知っている。

「なりたい自分を我慢しないでいいよ  夢はいつかほら輝き出すんだ!」

 上原歩夢さんと高咲侑さんの、スクールアイドルをめぐる物語の原点。あの日の抒情詩が、今再び背中を押す。自分では信じられなかった未来のトキメキを、夢をくれたヒーローの確かな軌跡が教えてくれる。(優木せつ菜さん、アニメっぽい仕草をすると途端に「うわアニメっぽい仕草だ!」と若干ウケてしまうところまで含めておいしいキャラクターなんだよな……)

 点字誘導ブロックを踏みしめ、先の見えない未来へと走り出す。動き始めたなら止めちゃいけない、我慢しちゃいけない──いつかの言葉が、青信号が、転回禁止の標識が、彼女の前進を祝福する。

 たとえ進む先が違ったとしても、未来行きの切符はお揃いのフレームの中で風に揺れている。

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194534p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 そうして、ふたりは夕景のもとに再び並び立つ。

 ザ・人工物!な夢の大橋の(ひいては、TVシリーズを通して舞台となるお台場周辺の)景色の中で上原歩夢さんの登壇を待ち受ける花盛りのステージ、この画をお出しできた時点でニジガク12話は「勝ち」みたいなところがある。

 ”フラワーロード”とは言うまでもなく「花道」であり、花道とは舞台から同じ高さで客席を縦断する通路を指す。以上ウィキペディアより。

 花道の中に立つ三者が三叉路によって別々の場所に立っている(そして、高咲侑さんだけがファンと第三の道の境目にいる)のは宗教画めいたカットの多い本エピソードでも取り立てて象徴的な構図だと思う。否応なく分かれ、でも確かに繋がっている愛の道。

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194932p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 陰影、標識、パスケース、先述の三叉路。あえて多くを語らず、青春の声を聞く少女達の心の機微を静物や明暗に委ねる手付きは、本エピソードでも健在だ。確かな熱情が静謐に燃えゆくフィルムの中で、一見無粋にも映る花言葉の開陳は、しかし上原歩夢さんと高咲侑さんが前に進むうえで絶対に必要なものであったと思う。*1

 言葉でなくとも隣にいられたからこそ。言葉にしなければ伝わらないものを、言葉にするだけでは伝わらないものを、今度こそ取り零さないために。

 最愛の君に一番伝えたい言葉を、花に添えて贈るのだ。

 

f:id:kiraramax360yen:20201223160537p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

「みんな」から手渡される〈新しい愛〉。たった一人の「あなた」から手渡される〈変わらない愛〉。二人きりだった過去も、広がっていく未来も、すべてを愛する。暗がりの中でたった一人を包んでいた上原歩夢さんの両の腕が、今こそ遍く”大好き”を抱き締める。かつて「自分に素直になりたい」とステージで夢を語った少女。好きなものは好きだと、欲張りな愛の花束を掲げる今の彼女に、その満開の笑顔に、誰がノーを突きつけられようか。

 走り出した時計の針は止まらない。青のカーネーションが咲き誇るあの景色には、もう戻れない。

 涙雨が上がり、ガーベラとローダンセは虹に咲く。

 

「今日は歩いて帰ろう」

 ふたりで同じ道を往復する、定期券が紡ぐ日常のルーティンから外れ、自らの足で新たな一歩を踏み出す。「みんな」で進むことを恐れないと決めて、しかし今日この日は公共車両を離れ「あなた」の側に立つ。夢を見て変わっていく中で、それでも変わらずに隣を歩く。

 

「前に進むって、大切なものが増えていくってことなのかな」

「そうかもね。……でもさ。歩夢を最初っから可愛いって思ってたのは、私なんだからね」

 本エピソードのパンチライン。高咲侑さんの幼馴染マウントが見られて……嬉しい!

 まだまだ未熟で幼い私だけど、もう二人ぼっちに閉じこもる幼いだけの私には戻れない。それはきっと前向きで、されど一種の寂しさを孕むものなのだと思う。それでも未来と過去は地続きであり、決して失われないものはここにある。”大好き”は、いつだってあなたの側にある。

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194906p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 いつか見た夜景の再演。すべてが始まったこの場所に立ち返り、もう一度たったひとりの「あなた」のために捧げるステージ。

「あなた」という風に包まれて、明日へと繋いだいつかの夢。昨日と違う風の中で、新たな約束が目覚める。私は「みんな」の為に歌う──けど、ずっと、思いは繋がってるから。

 二人きりだった過去に「ありがとう」。二人だけじゃない未来に「よろしくね」。二人三脚で始まった夢は一度結ばれ、新しい二つの夢が動き出す。

「お揃いのパスケース」は、あくまで「それぞれの切符」を収めるための器だった。二つのパスケースに一つの乗車券を収めておくことは、どうしようもなく叶わない。しかしあの日上原歩夢さんが贈ったパスケースはもう、定区間を巡る停滞と二人を繋ぎとめる手枷にはならない。

 それぞれの乗車券が変わっても、ふたりの進む道が違っても、パスケースは使い続けることができる。牽強付会かもしれないが、それこそが作中においてモチーフを二転三転させてきた「お揃いのパスケース」の行き着く先なのだと私は思う。器なればこそ、別々の切符を収めながらも不変かつ共通のフレームとして二人の側に在り続けるのだ。

 

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f:id:kiraramax360yen:20201223150202p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 上原歩夢さんが高咲侑さんの目の前で二度駆け上がり、同じ位置に降り立ち、そしてふたりで歩み直す自宅マンション前の大階段。始まりと終わりと、新たな始まりのステージ。それは夢へのステップであり、きっと個と個の分岐点。でもその先にはいつだって、ふたりの帰る場所がある。

 未来永劫失われることのない、愛する幼馴染との繋がり。それぞれの切符が別々の場所へふたりを運んでも、「変わらぬ想い」がある限り私達は帰ってこられる。大切な誓いを胸に少女達は片手を取り合い、夢への一歩を踏み出す。

 

f:id:kiraramax360yen:20201223145640p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

「曲作りにチャレンジしてみたんだけど、今の私にはここまでが精一杯」

「そんなことないよ、ゆうちゃん」

「えへへ、そう?」

「とっても素敵だと思うよ」

 照明の点いた自室にてたったひとりに夢を奏でる高咲侑さんが口にした言葉は、紛れもなく1話の上原歩夢さんを踏襲した台詞である。

 今はまだ自分一人に向けられた演奏を、彼女の未熟な精一杯を、上原歩夢さんは素敵だと言う。その肯定はきっとまだ未熟な自分自身を、かつて一足先に夢のスタートラインに立ったあの日の自分さえもを救ったのだろう。

 11話では焦点が合わず、見切れていた幼少期の写真。永遠を無邪気に誓い笑っていたであろうその表情を見失っていた、二人の原点。

 決して揺るがない永遠を見つめ直し、新たな誓いで結ばれた少女達の傍らには、あの頃と変わらない愛が鮮明に咲き誇る。

 

 どこに向かうかはまだわからないけど、面白そうな未来が待ってると笑いあえる君がいる。

 いつの日にかきっと咲かせましょう、大輪の花。

 

 

 というわけで、超絶面白かった虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会。総括するには少々気が早いが、20年代の始まりを告げる年の末に良いものを見たという確かな実感がある。筆者のアニガサキ以前のラ!の思い出は無印の劇場公開合わせで発売された風味がゴム風船みたいなエースコックラブライブラーメン玉ねぎ味だったため、令和の世にこのような形で出逢い直せて嬉しい限りだ。

 正直なところ、「ゆうちゃんがいないと一歩も動けない上原歩夢さん」が死んでしまったことに寂しさを覚えないと言えばやはり嘘になるし、これが上原歩夢さんの歩むべきたった一つの選択肢だとも思わない。(上原歩夢さん自身も──キャラソン本歌取りだが──「私達の答えはまだわからない」としている。)だが、変わってしまう関係性の中で変わらないものを胸に上原歩夢さんが前に進むと決めたこと、その意志は心の底から尊く、祝福すべきものだと思う。

「大人になるってことは 何かを諦めることじゃない きっと…」とは、思春期初期の少女が抱く幼さをそのままに力強く肯定するTVアニメ『Re:ステージ!ドリームデイズ♪』第9話挿入歌「ステレオライフ」の一節だが、思春期中期の成熟がやがて置き去りにするものを描いた上でそれでも譲歩しなくていい愛しさを拾い上げるアニガサキ12話にも、今こそこのフレーズを贈りたい。

 憂いは晴れ、花は咲き、役者は揃う。12週に渡って客席から見上げてきた虹ヶ咲のアニメも一先ずは26日の最終回を残すのみとなった。ファーストシーズンの集大成たる、百花繚乱が紡ぐ虹の祭典。みんなの夢を叶える場所〈スクールアイドルフェスティバル〉(もう技名だろこれ)──その光が、先の未来をも照らすと信じて。*2

 

 

*1:あとオタクが作中で明言されない花言葉で沸いてるの見ると実際に文脈を取り入れていたとしてもそっかーとなってしまう節、ありがち。この記事も似たようなものだが……

*2:ヤダヤダ早く2期正式発表してくれ!!!の意