はしれサイドテール

Extreme Heartsを観てください。

今までに食べたつけ麺を振り返る(〜2023年9月)

突然ですが、皆さんはつけ麺がお好きでしょうか。
オタクたるもの麺屋に足を運ぶことは一つの習性のようなものかと存じますが、その中でもラーメンが好きな方とつけ麺が好きという方、あるいは気分に応じてどちらも満遍なく食べる方がいるでしょう。


とはいえ勢力は著しく偏っており、Twitterにアップロードされるのはラーメンの写真ばかり。私はつけ麺を比較的好んで食べているのですが、しきりに「ラーメンじゃダメなの?」と言われるので肩身の狭い思いをしています。
つけ麺の話をしているのにラーメン好きと覚えられて「ハハ……」と苦笑いを浮かべる毎日。良いTシャツ着てんじゃないかよラブライブ!だろ?


しかし、驕り高ぶるラーメン派へと叩きつける真実ほんとうを私は持ち合わせていませんでした。
私がラーメンでなくつけ麺を選んでいるのはなんとなく魚介系の味付けが好きなのと少食ゆえにお店のラーメンが食べきれないだけで、そこに正義や信念はないのです。


信念なき刃では何も守れない──偽りのツケメニストとしての葛藤に苛まれる私。しかし、やはりプリズムジャンプは心の飛躍、麺画像はオタクの嗜み。日頃からつけ麺の写真をTwitter(旧:X)にアップロードしていたところ、フォロワー諸氏より麺の画像には店名を添えろ!と熱い要望を…………頂いたことは一度たりとてありませんが、ある時フォロワーから1枚の写真に好反応を頂いた(たぶんつけ麺がどうというより単純におなかが減っていたんだと思います)のを機に、私とつけ麺のこれまでの軌跡を写真とともに整理してみるのも良いかもな、と思い立ちました。


石橋はできれば叩いて渡りたいタイプなので、基本的にはそれなりに名が知れていたり行列を成している店舗に足を運ぶようにしていますし、今更紹介されても……なタイトルも多いかと思いますが、この記事の何かしらの何かしらが何かしらを通じて何かしらの参考になれば幸いです。


※物価高騰の影響によりメニューの価格が変動している場合があります。
※筆者はあらゆる食に対して刹那的に生きているので「これすき」「これきらい」以上の実のある紹介はできませんし、ここで挙げたメニューの味に関して一切の責任を負いかねることをあらかじめ宣言しておきます。もしも「あのフォロワー、普段ゴミ箱のガムでも食ってるのかな……」とか言われたら立ち直れる自信がないので……
オススメのラーメン屋とか紹介できる人の胆力すごすぎない?っていつも思ってます。
レビューとしての期待はせず、あくまでメモのようなものと思って読んでいただけると幸いです。
※筆者はこの記事を書く直前に将太の寿司を読み返しているため、言語野に多少の影響を受けている可能性があります。


秋葉原ラーメン わいず(秋葉原

つけ麺 ¥1000

秋葉原とありますが秋葉原駅からはやや遠く、末広町駅のすぐ近くにあります。シャカシャカトレカの前の信号を渡ったところ。
魚粉と香辛料をふんだんに効かせたピリッとスパイシーな豚骨スープが癖になり、なんだかんだで繰り返し足を運んでいるお店。「こういうのが食べたい気分」という需要にしっかり応えてくれます。私は黒七味を毎回バカほどかけるので黒七味の味しかしません。
イエベ(家系ベースの略)豚骨スープを使用したスープ割りもまた一興。私は割らずに飲むことが多いですが。
普通のつけ麺と特製つけ麺の差異はほうれんそうと味玉で、3枚ものぷりっとしたロースト仕立てのチャーシューはデフォルトで付いてくるのでちょっぴりお得感があります。大盛り無料なのもまた良し。
入口を開放しているため、冬場の入口付近の席では冷気でスープが冷めやすいのが玉に瑕。


○粋な一生(秋葉原

特製つけ麺 多分¥800ちょい

駅から遠いのでしばらく行けてないお店。最後に行ったのは一年半前くらいでしょうか。
特製つけ麺は白湯ベースにカツオとサバの効いたあっさり系の醤油だれが特徴。つけ麺は麺が三分にスープが七分と言いますが、程よく縮れた麺がその旨味を余すことなく絡め取ります。
写真は残っていませんでしたが、塩ラーメンが人気のお店だけあって塩つけ麺も高水準。割らずにゴクゴク飲めるほどさっぱりしつつもコクのある透き通ったスープはランチタイムサービスの半ライス(無料)とよく合い、ほのかにふうわりと香る柚子の風味が絶妙なアクセントを加えています。
総じて、王道のこってり系スープが苦手な人でも気軽に足を運びやすい店舗。安いのも良いですね。
さすがに一年半行ってないお店のことはあまり喋れないですが……。
水曜定休日。


麺屋武蔵 武仁(秋葉原

▲濃厚つけ麺 ¥980


▲濃厚辛チ〜ノ武仁つけ麺 ¥1400

昭和通り口の方の武蔵。幸楽苑の近くの通り。
濃厚つけ麺は金欠で武仁肉をケチった時の写真しか残っていませんでしたが、肉はぜひのせましょう。
箸で切れるほどやわらかいとろとろの角煮を濃厚なつけ汁にくぐらせ噛みしめるほどにえも言われぬ肉の旨味とタレの甘味が口の中いっぱいに広がります。肉の印象が強すぎて濃厚つけ麺のスープの味とかはあんまり覚えてないです。強いて言うなら紫たまねぎがやや浮いて感じた。
濃厚辛チ〜ノつけ麺はクリーミーな味わいの中に絶妙な辛さと濃厚なコクのある洋風スープが一味唐辛子に覆われた太麺をしっかりホールドしていました。
「濃厚辛チ〜ノ」は常連の希望から開発されたそうで、通常の辛チ〜ノの食券を提示する際に店員に申し付けることで注文することができる裏メニューなのですが、意気揚々と頼んだら思ったより濃くて普通のにしとけばよかったかな……ってちょっと後悔した思い出。


麺屋武蔵 巌虎(秋葉原

拳肉七味つけ麺 覚えてないけど多分¥1500くらい

電気街口の方の武蔵。オノデンの裏。
見た目は知性のかけらも感じられない刺激物の塊ですが、大量の七味はどちらかというとフレーバーとしての側面が強く意外にも見た目ほど辛くない。こちらも食券提示の際に店員に直接声掛けすることで七味増しを注文できるそうです。食べ進めていくとスープの底の方に七味が溜まっていくので注意。
食欲をそそる暴力的なサイズの拳肉はインパクト抜群で、ひとたび会話デッキにタッチすれば盛り上がることうけあい。
「武仁」の武仁肉に対して巌虎はチャーシューベーコンがウリらしいけど普通に拳肉の方がおいしそうだったので食べたことないです。ごめんなさい。
武蔵系列も一年以上行ってないので本当に何も語れることがない……。
1kgまで無料で麺を増やせた気がする。


つじ田 秋葉原店(秋葉原
濃厚つけ麺 ¥1050
あまりにも写真映えしないせいかフォルダに残ってませんでした……。

ドラスタのすぐ斜め前にあるお店で、地鷄出汁と爽やかな魚介にクリーミーな豚骨の旨味が濃厚に絡み合うとろみのあるスープとつるつるもちもちの中太麺が特徴。かぼすと卓上の黒七味が程よいアクセントを加え、意外なほどすっきりとしたコクのある食べ味をもたらす、豚骨魚介の基本に立ち返ったすばらしい仕事です。
初めて入った時店員のテンションがちょっと面白かった思い出があります。
行きつけのカードショップに近いのもあって時々無性に食べたくなるんですけど、写真を人に見せた時の反応が他のつけ麺に比べて明らかに悪く、会話デッキに採用しづらいのが難点。


つけ麺屋 やすべえ 秋葉原店(秋葉原
辛味つけ麺 ¥920

辛味とありますが、お好みで辛さのレベルを引き上げられるためか標準のつけだれは辛さよりも甘酸っぱさを前面に押し出しており、私の好みの対極といった感じでした……。写真もすぐに消しちゃった。
一流のつけ麺とは麺とスープが口の中で渾然一体となってほろりとほどけるものですが、いまいち水切りの甘い麺が食べ味を大きく損なっていたのも残念。
職人たるものどんな小さなことにも常に細心の注意を払わなければならない。寿司を握るとはその小さな心遣いをひとつにまとめること、"心を握る"ことなのです。


○麺処ほん田 秋葉原本店(秋葉原

特製醤油つけ麺 ¥1600(+大盛¥250)

アキヨド前の総武線高架下の謎の行列の正体。早朝からひっきりなしに列が伸びていくその光景は間近で見ると壮観です。
昆布水に浸して提供される麺は喉越し抜群で、別皿にひと匙添えられた藻塩を軽く振るだけで思わずスープを忘れて完食してしまいそう。つけ麺は麺が七分にスープが三分と言われるのも頷けます。
つけだれも澄み切った鷄ダシの芳醇な香気が食欲をそそる、さっぱり系ながらもコクのある一品。ドロドロこってりのつけ麺然としたスープというよりは醤油ラーメンに近いテイスト。互いに高水準の麺とスープが口の中で渾然一体となって複雑微妙な食べ味を生み出しています。
すだち果汁や魚介系スープ割りによる味変も完備。
さすがに年中並んでるだけのことはあるなと思った一方、調子に乗って大盛を頼んだら思いのほか量が多くて後半ずっと胃もたれしてた記憶に味が上書きされつつあるので、コンディションと適切な量を見定めた上でもう一度食べに行きたいですね。
水曜定休日。土日限定で優先席予約券をオンライン販売しています。


○カラシビ味噌らー麺 鬼金棒 神田本店(秋葉原

カラシビ味噌つけ麺 ¥1000

駅からちょっと歩きますし厳密には秋葉原の店舗ではないんですが、徒歩圏内なのでアキバのついでに行ける店ということで。
通し営業ですが、開店直後から夕方付近までどの時間帯に行ってもちょっと帰りたくなるくらいの行列を形成している人気店。
食券購入後、列に並んでいる間に店員が一人一人オーダーを取り、辛さ・痺れや麺の量などを段階別に調整できます。大盛も無料。
コクのある甘めの味噌ベースのスープを唐辛子の辛さと山椒の痺れが派手に彩るつけだれに、もちもちとして弾力のある角切り極太麺の組み合わせはまさに鬼に金棒。そろそろお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、大体の麺類の感想はとりあえずコクって言っておけばなんとかなると思っている節があります。
スープの中には鬼の金棒をイメージしたヤングコーンが潜んでいます。正直毎回これ要る?って思っていますがトレードマークなので要るのでしょう。
真夏にカラ増しを頼んだら全身の水分という水分が汗になって滝のように流れ落ちて大変でした。
フォロワーがツイートしてたまぜそばの方の鬼金棒もそのうち行きたいなーと思いつつ、機会を作れないまま長い年月が経とうとしています。


○松戸富田麺絆(東京)

柏幻霜ポーク全部乗せ濃厚つけめん ¥1620

言わずと知れた名店、つけ麺といえばまずこれ!なとみ田の味を東京駅で楽しめる支店。本店と違い注文〜着丼は1時間かからない程度なので、比較的サッと食べられます。
ジェネリックとはいえとみ田系列店ともなると特に私から言うことはないですが(変に語ると本店勢にマウントを取られるのがムカつくだけです)、やっぱりなんといっても肉がおいしかったですね。
実はとみ田発のチルド麺やインスタント麺のシリーズってそこそこ苦手だったんですけど、実際に支店のつけ麺を味わってみると根本的なクオリティの違いこそあれど結構頑張って寄せてたんだなーと企業努力を感じました。
いつかとみ田の真実ほんとうも味わってみたいですね。
スープ割の際にはお好みで柚子を追加できます。


○つけめん さなだ(北千住)

▲三種のチャーシューつけめん ¥1500


▲辛つけめん ¥1300

大正浪漫をイメージした特徴的な装いが目を引くシックな雰囲気のお店。
大山鷄のつけめん(¥1100)も食べたことあるはずなんですけど写真が見当たりませんでした。(たぶん三種のチャーシューつけめんから肩ロースを抜いたものだったと思います)
鷄と魚介の旨味に溢れつつもあっさりとしたスープがつるもちの中太ストレートによく絡み、別皿に添えられた藻塩が小麦香る麺の素材の味を引き立てます。卓上のグレープフルーツ酢による味変も可。
辛つけめんは鶏油をベースに山椒の爽やかな辛さと唐辛子のピリッとした刺激がほどよい甘辛さを演出しており、別添えの辛味噌が食べ味をいっそう引き立ててくれます。
このお店に行くようになってからつけ麺における鷄チャーのブームが留まることを知りません。肩ロースより好き。
麺の器の中にざるが入っており見た目ほど量が多くないため、がっつり食べたい人は大盛(¥150)や特盛(¥250)にしても良いかも。
金土日限定でデザートのパンナコッタ(¥150)を販売しています。


○麺屋 炙り(北千住)

辛つけ麺 ¥800

一枚一枚強火で炙られた豚バラチャーシューと、鶏ガラをベースに長時間煮込んだ濃厚なのに後味すっきりなコラーゲンたっぷりの無化調オリジナルスープがウリのお店。
辛つけ麺は魚粉や唐辛子のほか、あの『将太の寿司』においてもエビの中で最も美味い部位と名高い海老味噌をふんだんに使用した自家製ラー油が味わいに陰影を与えています。と言いつつ、やはり健康志向故かパンチに欠けるので正直印象が薄いと言わざるを得ません。
月曜定休日。


○こばやし(北千住)

今見たら閉店してました。南無。
普通に歩いていては絶対に見つけられない場所にあるということで、知る人ぞ知る秘密のお店。気になる人は調べてみてください。下調べした上で不安になり入店を躊躇う、「だから閉店したのでは……?」と思わずにはいられないお店。あんまり覚えてないけど多分おいしかったです。


○つけ麺 道(亀有)

▲特製塩つけ麺 ¥1450


▲特製つけ麺 ¥1450

亀有駅北口から徒歩2分。曜日によって提供しているメニューが異なるので、事前に公式Twitterなどで調べておくことを推奨します。
なんといってもこのお店の特徴は熱々の器に注がれた甘めで粘度が高く重厚ながらもまろやかなスープ。
特製塩つけ麺の甘じょっぱいスープに沈む海老ワンタンはぷっつりと歯応えがあり噛みしめるほどにジューシーな旨味が口の中いっぱいに広がりますが、やや塩辛すぎるきらいも。お好みで絞るレモンが平坦になりがちな味わいに陰影を与えます。
特製つけ麺は濃厚ながらも魚介のクドさを感じさせないクリーミーな豚魚スープが持ち味。このお店で修行を積んだ職人が都内外に次々と自分の店を展開しており、今では「道」系という一つのジャンルが確立されつつあるようですが、やはり元祖ならではの力強さを感じる味わいです。
ふうわり甘い半熟の味玉は特製つけ麺と相性バッチリですが、特製塩の時はそんなでもなかったかな。
別皿の薬味は日替わりでバラエティーに富んでいます。


食後のデザートには自家製クリームブリュレ(¥350)がオススメ。本格的な焦がしカラメルの表層を割って顔を出すとろっとろの甘味が圧倒的濃厚豚骨魚介の重たい食べ味を受け止めます。
亀有に名を轟かせる人気店だけあって間違いなくおいしいんですけど、やっぱり油感強めのセメント系スープは月に何度も食べるもんじゃないな……とも思います。
席数は少なく4人毎の完全入替制ということで待ち時間が非常に長いため、勇んで開店前に並んでみたところ、店員がスクラムを組んで大音量で社訓を読み上げ気合を入れる運動部じみた朝礼が聞こえてきて二度と開店前に並ばないことを固く誓いました。


○つけ麺 和 東京本店(竹ノ塚)

▲特製つけ麺 ¥1350


▲カレーつけ麺 ¥1150


▲辛つけ麺 ¥1150

竹ノ塚駅西口から出て西友の裏側にあるお店。長らく改装工事につき休業していましたが、昨年9月よりリニューアルオープン。例によって開店直後から行列を作っています。
先の「つけ麺 道」で修行を積んだ一番弟子が店主として腕を奮うだけあって、動物系のねっとりとした旨味が歯に絡みつく「道」ライクな特濃スープが特徴ですが、師と比べて一回り上品な食べ味に纏まっています。
つけ麺は麺が七分に職人の腕が三分と言いますが、むっちりと噛み応えのある極太ストレートの風味はまさに柏手もの。あの麺の小麦色の鮮やかなのを見ろ‥‥!! ふうわりと薫り高い特注麺がスープの凝縮された甘味と旨味を捉えて離しません。
カレーつけ麺はベースの豚骨魚介にカレーの風味がバランスよく調和し渾然一体となって口の中に広がる複雑微妙な味わいをもたらします。
辛つけ麺は同じく豚魚スープに唐辛子など複数の辛味調味料を加えじっくりと煮込んだもの。ベースが甘めだけにファーストインプレッションこそ甘辛ですが、啜るごとにヒリヒリとした刺激と芯のある旨味が効いてきます。
いずれのメニューもこれぞつけ麺!と言わんばかりの重厚な味わいでありながら、スープに化学調味料は一切使用していないというのだから驚きです。
低温調理で程よくレアに仕上げられたチャーシューや、にんにく醤油やガラムマサラ等つけだれの味に合わせて用意された薬味、卓上のフルーツ酢による味変も堪らない。
スープが冷めてしまった際には温め直してくれるなど、細やかな心遣いも光ります。
ちょうど提供再開したらしい限定の昆布水つけ麺も食べたい。月曜定休日。




以上が私の記憶と記録に残っているつけ麺店のリストとなります。いかがでしたか?


つけ麺はつけ麺ならではのコツを掴まなければ「ひと手間かかるラーメン」という立ち位置に甘んじてしまう料理です。
麺は浸さずさっとくぐらせ、お好みの量のスープを纏わせて啜る。そうすることでスープを過度に冷ますことなく麺本来の風味とスープの調和を楽しみつつ、自分だけの適切な比率を探る拡張性も見出せる。「冷たい麺と温かいスープ」という不思議な提供形態をデメリットではなくメリットに変えてあげることが、つけ麺を乗りこなす上で最も大事な作法なのだと思います。


とはいえ私はつけ麺の真実ほんとうを一パーセントも知りませんし、自分の味覚に一切の自信も責任も持てません。やはり今の私は、つけ麺に対して真摯に向き合えてはいないのだと痛感しました。
それでも、つけ麺と過ごしてきた足跡を一歩一歩振り返るごとに胸の内から食欲とともに込み上げてくる気持ち。信念も正義もない透明な石ころでも確かにそこにある思い入れという名のそれに、嘘をつくことはできないようです。


つけ麺……こんな俺だけど、これからも一緒に戦ってくれるか?


フォロワーの皆様におかれましては、この記事を踏まえて都内で私が好きそうなオススメのつけ麺屋があればぜひ教えてください。
その他、参考になった!おいしかった!などツイートしてくれると喜びます。
口に合わなかったら黙っておいてくれると助かります。





これはサムネ用の最前ラーメン。

人生で初めてライブを観に行った話。──『Extreme Hearts × Hyper × Stage』を振り返って

 

 

 昔から、「一体感」という言葉が苦手だった。

 ファン同士の繋がりやコンテンツとファンの双方向性といった幻想に驕る人々の姿が私には眩しく、直視できなかった。

 舞台は役者と物語のためだけに存在し、客席は誰とも繋がっていない。

 私にとってすべては画面の向こうの存在で、壁一枚隔てた世界で私は常に孤独だった。

 

 

 そんな私の人生において、『Extreme Hearts』との出会いは本当に異質な「体験」だった。

 配信やSNSにブログといった媒体を活用して、メディアに露出していく登場人物と私たちの世界とを繋いでいく本作。フードコートライブの事前投票で1票ぶんの特権を行使した我々視聴者は、いつしか作中の大勢のファンの中に溶け込み、RISEと共に一夏の青春を駆け抜けていく。

 TVアニメの最終回、現実と虚構がないまぜになった満員のライブステージの客席で青いペンライトを握ったあの日、確かに私の──いや、私たちの視線の先に葉山陽和が存在したのだ。

 

 

(わざわざこの記事を読みに来る人はおおかた既に『Extreme Hearts』を視聴していると思うが、念のため前回執筆した布教記事を再掲しておく。)

 

gear-zombie.hatenablog.com

 

 

 だから、正確にはライブに足を運ぶのは2回目と言ってもいいのだけど。

 これは、生まれて初めて自分の足で画面の向こう側へと踏み出したオタクLv1の盛大な自分語りである。

 もうイベントから随分日が経っているし、熱に当てられた参加者達のレポート執筆率が異常なほど高く(マジで皆書いてる)、この記事を読んでいる多くの人にとっては既に聞き覚えのある、或いは身に覚えのある話ばかりになってしまうだろうが、それでもあの日の熱に、かけがえのない「体験」に栞を挟んでおくことには意味があると信じたい。

 

 

 

 

 というわけで、2023326日。私は『Extreme Hearts』(以下エクハ)初の大型イベント、『Extreme Hearts × Hyper × Stage』が開催されるという山野ホールへ足を運んだ。

 放送終了から半年が経過し、今や公式広報のリツイート数はわずか平均2300台のこのアニメ。800人のキャパシティが埋まるのか些か不安だったが、杞憂も杞憂。会場は満席、円盤購入者による先行申込の割合も高く、一般販売分は即完売。

 外はあいにくの雨模様で桜の季節に似つかわしくない肌寒い一日であったが、悪天候に負けないファンの確かな熱が感じられた。

 

 

 正直、グッズの詳細が発表されて、イベントに際した様々な企画が公開されて、グッズがわりとナメたスケジュールで手元に届いて、会場で同好の士による長蛇の列を目の当たりにしてもなお、自分がエクハのイベントに来ているという実感がいまいち伴わなかった。ただ、会場の空気というものにはしっかりと当てられていたようで、デジタルガチャというやたらと時代を感じる販売形態の会場限定グッズや保存用のアクリルジオラマ(1個は事前通販ですでに購入していた)など、予定外のものまで色々と買ってしまった。

かわいいよね。へ〜今なら事後通販もやってるんだ〜!

 あとその……葉山陽和さんのプライベートタイム抱き枕カバーの方をね……購入させていただきました……

いや俺が買ったのはエクハの新規描き下ろしイラストとコンテンツに金を出した事実であり決して葉山芸能に圧力をかけてエロ売りするキングレコードの卑劣なやり口を認めたわけではないんだよな。(早口)

 

 

 私が内なる己と格闘している頃にはすでに抱き枕カバーはキングレコードに屈したオタク達によってほぼ全て売り切れており、葉山陽和さんを抱えてブースを出た数分後に全種完売の報が流れた。スタッフブックもめでたく完売し、Twitterのトレンド……ではなくTLには「エクハ完売」の文字列が。

 ここで、スタッフがクオンロボットサービスのTシャツ(非売品)を着ていることに遅れて気付く。物販で売らないグッズまでわざわざ作ってるんだ!?といたく感銘を受けた。ちゃんとファングッズしつつ普段使いに耐えうるデザインで普通に欲しいなーと思いつつ、「クオンのロゴは運営スタッフの証であり、ファンに売るグッズはあくまでアイドル達をあしらったもの」っていうラインを守っているのが作品世界へのリスペクトに溢れていてとても良かった。

 

 

 物販を終え、ブラインドグッズをトレードしたり、ツイッターでお世話になっているフォロワー達と挨拶を交わして秒で会話からあぶれたりしながら時間を潰していると、思いの外あっという間に開場時間がやってきた。

 スタッフの指示通りに地下へと進み、謎の抱き枕カバー展示コーナーを抜けると、そこには本編12話ラストに登場した等身大RISEパネルの再現ポップ*1が。粋なサプライズに大興奮のファンによる廊下を一周するほどの撮影待機列に私も加わり、数枚撮影ののち着席。

 

 

 開演とともに「大会の開幕」*2が流れ出し、眩しすぎるほどの照明がステージと客席に降り注いだ時、ようやく「ああ、本当に始まるんだ」という緊張と高揚が全身を駆け巡るのを感じた。

 

 

 キャスト登壇前の利根健太郎さんのMCにより、声出し解禁の旨が正式に報じられる。私は観客の自己顕示によって演者のパフォーマンスに不純物を投じる文化(ド偏見)にも当初首を傾げていたのだが、終わってみればこのイベントは字義通りファンの声援がなければ絶対に成立しなかったし、この数年間日常に強く根差した抑圧からの解放と、エクハファンが半年間待ち望んでいた誰にも憚らずに大好きだよって叫べる時間が偶然にも重なったことは、会場を支える強いエネルギーになっていたと思う。

 

 

 

 

 ライブと書いてはみたものの、イベントの内容としては「ミニライブのコーナーが設けられているトーク中心のアニメイベント」といったところ。せっかくアーカイブ配信のチケットが販売中(4/9まで視聴可)とのことなので各コーナーの詳細な振り返りは割愛するが、キャスト一人一人がお気に入りのシーンを映像付きでピックアップするコーナーでは進行もよそに応援上映めいた空気で誰もが頷くあの名シーンを見守ったり、ツイッターで一万回見たエクハ印のちょっと間の抜けたキャプたちをスクリーンで見てキャッキャしたり、放送当時から視聴者の間で根強い人気を誇るノノちゃんの名(?)台詞を生で聴けたりと、想像よりもずっと濃く、それでいて心地良いファンコミュニティの空気感が絶えず流れていた。あと大画面に突如映し出される葉山陽和さんのエッチな抱き枕カバー(裏面)のサンプルの解像度では見えなかった谷間の主張の強さに思わず声をあげてしまった。正直今も受け止めきれてない、葉山陽和さんの谷間。

 とにかく橋本ちなみさんが終始良かったですね。こういうキャストがわちゃわちゃやるコーナーってあんまりノれないタイプなんだけど、円陣に混ぜてもらえないところでめちゃくちゃ笑ってしまった。百合です!

 

 

《配信チケット》TVアニメ「Extreme Hearts」スペシャルイベント『Extreme Hearts × Hyper × Stage』|楽天チケット

 

 

 あとは2話の陽和がカラオケで歌っていた曲のタイトルがサラッと明かされたりも。エクハは視聴者に語らない、語る必要のない部分まで息づく箱の一部としてしっかりとデザインされているのも私を含めたユーザーを惹きつけて止まない要素であり、もしかしたらこういった機会に少しでも覗けないだろうかと密かに期待していたので、この新情報は印象的だった。正確には本編での使用に際しJA……ACに登録する都合があるため以前から調べれば出てきたようなのだが。

 ちなみに同じくJA……ACで検索すると咲希の歌った曲も出てくる(「キラリ☆FLY HIGH」というそうです)のだが、曲名を知った上で該当のカラオケシーンを観ると、陽和の歌った曲の題名が咲希の歌った曲のフレーズに対応しているように見えるし、陽和の歌った曲のフレーズが咲希の歌った曲の題名に対応しているように見える。親方!これは……? 百合です!

 

 

 そんなこんなであれやこれやと時は過ぎ、休憩タイムを挟んでいよいよライブパートに。

山野ホールは音響があまりよろしくない」という噂を以前から時折耳にしていたのだが、幸か不幸か、これが人生初ライブとなる私にとっては比較対象が存在しないのでさしたる問題ではないだろうと踏んでいた。

 しかし、幕間に届いたSnow Wolfキャスト両名からの応援メッセージがスピーカーの不調でガタガタになっている*3のを前に、早くも「構え」の姿勢を取らざるを得なくなってくる。

 

 

 

 

 そうして憂愁に駆られつつ始まったライブステージは、幸いにもつつがなく進行していた。

 初手に披露された岡咲美保さん歌唱の主題歌「インフィニット」はOP映像の音ハメの気持ち良さも合わさり、毎話30分間の視聴体験を勢い付けたように会場のボルテージも一気に高めてくれる。見様見真似でペンライトを振っていたので多少ついていけないところもあったが、「もしかしたら好きなアニメの曲に合わせて棒振ったり身体動かすのってめちゃくちゃ楽しいんじゃないか?(天才)」という気付きを得、俺ライブのこと完全に理解したかもしれん……と調子に乗り始めたところでMay-Beeが登壇。「HELLO HERO」でおなじみの本編12話のステージ衣装に身を包み……

 えっ!?!? ステージ衣装作ってくれてるの!?!?!?

 この後のRISEも同話の再現衣装を纏って登壇するのだが、次があるかもわからない、たった一回のイベントの一角に過ぎないミニライブのために(会場に来られなかった大西さんの分も含めて)9着もの衣装を用意するのは、決して簡単なことではないはずだ。イベントで販売されたRise up DreamTシャツは作中のライブシーンの再現グッズなのだから、極端な話RISEはそれを着て踊っていたとしても公演として成立はしていたはず。

「ミニライブ」の規模感をいまいち掴みかねていた、そもそもミニライブをやること自体ギリギリまで明言していなかったこのイベントにあって、衝撃的なサプライズだった。

 この記事を書いている最中にエクハのライブパート全般を担当している國行由里江さんのツイートから発覚したことだが、RISEMay-Bee達のステージ衣装をデザインした段階では実際にこの衣装をキャストが着て歌ったり踊ったりする予定は一切なかったそうな。

 

 

 歓喜の傍ら、不安もあった。ティーナを演じる嶺内ともみさんが2022年内に声優業を廃業、智を演じる大西沙織さんが直前に体調不良による欠席を発表。May-Beeはフルメンバーから2人を欠いた状態での登壇となる。

 陽和の歌声を柱としてユニゾンを主体にメンバー同士の絆や関係性を表現しているRISEと異なり、最強の5人が集まることで最強のチームとして君臨する王者May-Beeは「ソロで繋いでサビでユニゾン」を楽曲のコンセプトとするグループだ。この決定的なハンデをどう乗り越えるのだろうか? 観客の熱を冷まさない回答に具体的な想像が及ばないまま、「Buzz Everyday」のイントロが流れ出す。うお〜〜〜〜!!!!!

 

 

 Aメロに差しかかり、コールも入れて盛り上がろうというところで突如音源が途切れ、歌唱が中断される。

 初めは演出かと思い、トルコアイスのパフォーマンスに付き合わされる子供の気持ちで静観していたが、その後も度重なる中断、中断。ここで私も、異常な事態を遅れて理解する。

 流石はプロ。「時間が貰えた」と軽快なトークで繋ぐも、深刻な機材トラブルを前にやむなく仕切り直しということで演者が一度捌ける事に。

 

 

 演者不在の間を持たせるべく、どこからともなく客席から湧き上がるMay-Beeコール。

 それでも繋ぎきれなくなった時、撮影スタッフの機転によりスクリーンに映し出された客席の最前ラーメン*4Mina de GanbaroneTシャツ*5によって、会場は再び熱を取り戻す。ラーメンの食品サンプルがスクリーンに大写しになってドカ湧きする会場、二度と見ることないだろうな。

 エクハの公式Twitterアカウントは時々抜けてるだけで基本的に真面目なので、全話通して画面に2秒しか映らないモブの話を擦り倒すような運用はしていない。キャラソンのリリイベや円盤のオーコメで演者が軽く触れてはいたものの、公式の方からかくあるべしという空気を作ってきたわけではないのだ。

 ユニークなアイディアを実行に移したファンも、それを抜き取る撮影スタッフも、不意に映し出された映像に思わず吹き出した会場のみんなも、マニアック極まりない作中のネタを誰に強いられるでもなく拾い、自然と全員がひとつの輪の中で笑顔になっていた。

 やや経ち、May-Beeが再びステージに上がる。その後も機材は決して復旧したとは言い切れないコンディションだったが、もう会場の盛り上がりを阻むものは何もない。

 奇しくも「ド派手なピンチも楽しむPassion」を体現する形となった。

 

 

 この一連のトラブルはアーカイブ版ではカットされているのだが、イベントを終えて振り返ってみるとあれは本来興行として、それもエクハ初の、もしかしたら最後になるかもしれない大型イベントとしてあってはならない、何か一つでも要素が噛み合わなければイベントそのものが壊れかねなかったほどの凄惨な事故だった。TVアニメ最終回で陽和が起こしたアクシデントは作中のファンにとって感動のドラマとして語り継がれる一方で、陽和本人はあくまでプロとして恥ずべき、繰り返すべきでない失態という姿勢を貫いている。そういった線引きがしっかりとしている生真面目さもエクハに抱いたうれしさと信頼のひとつなのだから、こうしてあの時間を大団円で乗り切った私たちがあの一夜のできごとを記録に残して面白おかしく語り継ぐだけで十分だろう。過度な神格化は同調圧力を生みかねないしね。

 いつか大西さんや新生ティーナにSnow Wolfや他のハイパースポーツアイドル達のキャストも交え、機転が必要ないくらい十全な環境でエクハのライブが見られることを切に願う。*6

 

 

 続けざまに「HELLO HERO」が披露され、会場を温めておいたと言わんばかりにMay-BeeからRISEへとバトンが渡る。

 先んじて触れていたが、こちらもファイナルステージの衣装に身を包んでのパフォーマンスとなる。あの衣装って色もそうだけど、よく見ると5人それぞれ細かい部分でもデザインが異なっているんですよね。ようやってくれたよ本当に……

 RISEの一曲目は「Happy☆Shiny Stories」。Bメロの、TVアニメで描かれた1番では陽和を中心として咲希&理瀬と純華&雪乃の両ペアにフィーチャーした可愛らしい振り付けが印象的なこの曲だが、2番では5人全員で円を描く形になっていたのがすごく嬉しくて。本編では尺の都合もあってフルサイズでライブパートを描くのは難しいけれど、リアルライブはこういう補完ができるのも強みなんだなーと感銘を受けた。

 

 

 そして……Happy☆Shiny Storiesの後に披露される曲といえば一つしかないだろう。RISEと共に走りきった日々から数ヶ月間、一度だって忘れたことのない、強く焦がれた瞬間がやってくる。「全力Challenger」。

「ずっと待ってたんだ きっと」……歌い出しの通り誰もが待ち望んでいた演目だが、実を言うと危惧している部分もあった。

 あの時ファイナルステージで陽和が発露した想い。2048年夏の陽和にとって本当に、本当に大切な瞬間であるからこそ、今この場で「再現」されてしまうのではないかと。安いエモーショナルで2048年と2023年双方の体験を損なうようなことは絶対にしてほしくない。同じことを繰り返すくらいなら死んでしまえ、そう岡本太郎も言っていた。

 

 

 迎えた間奏、ギターソロをバックに野口瑠璃子さんの口から放たれる「大好き」はあの時のそれとは少し違っていて。

 ごめんなさいじゃなくてありがとう。定められた尺の中でしっかりと気持ちを乗せきった力強い叫びは、安直な「再現」などではなくリスペクトに満ちた「踏襲」であり、ファイナルステージの反省の延長線上にある陽和の「今」に想いを馳せることができる、素晴らしい演出だった。

 

 

 示し合わせるまでもなく、客席は一面の青で埋め尽くされる。

 今更言うに及ばないが、TVアニメ最終回で描かれた「全力Challenger」のライブ中に起こる一連の事件には一切の説明的な独白が介入せず、そこに在る心象と現象のすべてを画とアクティング、ファンからの目線に委ねているのが印象深い一幕である。その上でこの日この会場この演目で青いペンライトを振ることが、客席に一面の青空を描くことが、最終回を経てスペシャルイベントの切符を握りしめた数百人共通の夢として強く刻まれていたであろうことそれ自体が、Extreme Heartsという作品と葉山陽和という少女がもたらしたものを雄弁に語っていた。

 

 

 2048年の観客に己を重ねていた2023年の私は、今日この日にほんとうの意味であの青い光の海の一部になれたのだと感極まって。

 泣くかなと思っていたけれど、不思議と涙は出なくって。

 ただただ青空を仰ぐような気持ちで、輝くステージを見つめていた。

 

 

 演者によるMCを挟み、早くも最後の曲「SUNRISE」へ。本編にはライブシーンが存在しない楽曲だが、今回のイベントでは惜しくも披露されなかったRise up Dreamを思わせる振り付けを取り入れているなど、こちらもHappy☆Shiny Stories同様リアルライブならではの見応えがあった。衣装といい、ミニライブのコーナー全体でもってTVアニメ12話の流れを思い起こさせる構成である。

 エクハという作品のエンディングとしてこれ以外はありえないという一曲。本編同様、最高の時間を実に爽やかな読後感で締めくくってくれた。

 

 

 

 

 ライブの余韻もそこそこに、キングレコード三嶋章夫プロデューサーからの手紙が届く。……電報ではなくあえて手紙の形態を取るところにも、TVアニメ本編への細やかな目配せを感じる。

 アニメの大型イベントで偉い人から告げられること──或いは告げられないことといえば、最大の懸念である「アレ」しかない。緊張が走る。

 

 

 放送から半年余りが経過した今でも絶えず私や周囲の人々を惹きつけてやまないエクハだが、各コーナーで読み上げられるお便りには揃いも揃って顔見知りならぬアカウント見知りの名前しかなかったのがコンテンツの実態を如実に表していて。

 包み隠さず言えば、この会場にいる誰もが、「今日この日がExtreme Heartsというコンテンツの区切りなのかもしれない」という悟りと縋りを抱えてここにやってきたのだろう。

 全員が固唾を飲んで見守る中、粛々と手紙が読み上げられる。

 

 

 ざっくり言うと、手紙の内容はこうだ。

 

 

「これまで都築作品はシリーズとして展開してきたが、エクハはお世辞にも世間的にヒットしたとは言えず、今この場で続編を発表できる状況にはない。それでもファン一人一人の熱量の高さは伝わっているし、事実として高額商品も売り切れた。何よりエクハという素晴らしい作品をここで終わらせたくない。必ず何らかの形でコンテンツを継続する。まずは新曲を作ります」

 

 

 

 ……………………

 

 

 や、

 

 

 やった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!

 

 

 

 口ぶりからして、企画が通った様子ではない。

 何の保証もない、ほんの口約束。

 それでも、モノを売る立場の人間から採算的に厳しい作品に対してできうる、最大の寄り添い方だった。

 

 

 エクハというアニメが、知名度こそ高くないものの受け手の心に強く深く刻まれ続ける作品であることは、この会場の熱気が証明していて。

 それは、商業的な成功こそなかったけれど閉じかけた一人の少女の心に熱を届けたシンガーソングライター葉山陽和の歌に似ていて。

 良ければ売れるわけではない。売れないからといってそれがすべてではない。

 そして、腐らず立ち上がればいつか大好きを届けてくれる人が増えていって、世界が広がって、皆で夢の続きを見られる……

 それって、Extreme Hearts1クールかけて描いてきた物語そのものじゃないですか。

 

 

「誰かの存在が、誰かの声が、夢を諦めずにいられる力になる。」

 前回の記事でも引用した、私の大好きな一節。陽和が咲希を想い、ああこの受け取った気持ちをわたしも誰かに届けられたらと、虹の花束に込めた確かな祈り。*7

 陽和が咲希にもらった手紙に、ミシェルが病院の子どもにもらった折り紙のメダルに翼を貰ったように。

 私も、私たちもエクハにとってそんな存在になれただろうかと、ファンの声が作品に与える力というものをみとめて、少しだけ、けっこう自惚れてもいいかなと、そう思える夜だった。

 

 

 もちろん、熱狂に値する作品を、それはもうたいへんな企画を乗り越えて世に送り出してくれたことよりも尊いことなんてなくて、私たちは無邪気に無遠慮にそれを享受しているだけなのだけど。

 なんの取り柄もない私が人生で初めて、ありがとうと大好きを素直に受け止められた気がしたのだ。

 

 

 とはいえ、まだまだ安泰とは口が裂けても言えない。依然としてエクハはマイナーなアニメだし、ファンコミュニティは村社会。コンテンツとして予断を許さない状況なのは確かだ。

 私は小鷹咲希ちゃんではないので、ここから先私にできることは声を上げて祈ることくらいだけれど、いつか作り手も自信を持って今後の展望を語れる未来が来てほしいと切に願う。本当に素敵な、奇跡みたいな作品なので……

 

 

 

 

 かくして、3時間に渡る夢のひとときはエンディングを迎えた。最後に優木さんがSUNRISEに絡めてニヤリと口にしていた(オタク!)が、外はすっかり雨が止んでいるらしい。それは心に重くのしかかっていた先行きの見えない不安が晴れるようで。

 既に陽は沈んで真っ暗だったが、いつかの青空に思いを馳せ、皆が未来を向いて明日へと手を伸ばす、実にエクハらしい形で『Hyper × Stage』は幕を下ろした。

 

 

 800人という外から見ればちっぽけで、でも内から見れば心強い規模感だったからこそ、自分も、隣の人も目の前の人も、そのまた隣の人も、壇上に立つキャストの皆様も、裏方としてイベントを支えるスタッフの方々も、ここにいる全員が「エクハが好きな人達の集まり」であるうれしさを終始肌で実感する最高のイベントだった。*8

RISEたちが円陣を組んで盛り上がっているところに居合わせた外野がぎょっとするシーン」と言えばエクハの視聴者ならいくつも思い浮かぶことだろうが、言うなれば当日の山野ホールは、まさしく800人規模の円陣だった。

 陽和の夢が、咲希の誓いがRISEの夢になり、みんなの夢になっていくように。

 800+α人が持ち寄った「わたし」の熱が交わって「みんな」になったあの日のあの会場、あの空間のすべては、間違いなくエクハのためだけに存在していた。

 

 

 はっきり言ってここに書いてあることなんて全部私が勝手に都合よく受け取ったものでしかないのだけど、でもだからこそそんな妄言を共有できる人達の存在を祈らせてくれる、信じさせてくれるあの時間は、何物にも代え難い「体験」だったと思う。

 

 

 何より、エクハがもう一度「またね」って言ってくれたのが本当に嬉しくて。

 何度も何度も噛み締めては込み上げてくる感情を大事に抱えながら、会場を後にした。

 

 

 Extreme Hearts × Hyper × Stage。「みんな」でしか見られなかった最高の景色があったことを、決して忘れない。

 いずれこのイベントを「第1回」として思い出にできる日が来ることを、心から願う。

 

 

 

 

 大盛況で終えたイベントののち前後不覚のまま高田馬場へと運ばれ、Twitterで交流があったりなかったりした10人余りのエクハファン達と、おすしとかデザートもたくさんある焼肉食べ放題店に行ってきました。

普通にうまい肉食ってきたオタクは甘え

 イベントで活躍した最前ラーメンの方や、会場で1名にプレゼントされた新垣一成さん描き下ろしRISE色紙をみごと手にしたすごいオタクとの邂逅も。ラーメンの方がいらっしゃるのは知ってたけど色紙当てて眼鏡吹っ飛ばしたオタクのTシャツ見てこれ絶対この後会う人じゃん!ってなったのアツかったね……

 

 

 みなさまたくさんお話できてたのしかったです。肉一枚も焼かなくてごめんなさい。エクハがまたねって言ってくれたので、またきっとお会いする機会があると信じています。

 ありがとうございました!

 

 




 

*1:余談だが、円盤でも修正されていなかった理瀬の髪の色指定が修正されているらしい。

*2:Extreme Hearts オリジナルサウンドトラック vol.1収録。

*3:アーカイブ版では差し替え済み。

*4:本編3話参照。

*5:本編71012話参照。

*6:ちなみに今回のMay-Beeのステージは4人用に歌詞の振り分けを調整した上で、智のパートにはソロ音源を流していた。

*7:BEST 4U』内ボイスドラマ「陽和&咲希&ノノのB4Uストリーム♪」より

*8:実は私の席は隣も前も空席だったのだが、それはそれ。

時代と共に「生きる」エンターテインメント──TVアニメ『Extreme Hearts』という「体験」

 JSidetailのこれまでのあらすじ。
 この一年、『SB69』のプレイリストを聴き漁ったり、『ウマ娘』のゲームに苦しんで……もとい没頭していた私は、漠然とではあるが少しずつ声優・野口瑠璃子氏の歌声に惹かれていった。
 時は流れ、2022秋クールの始まりを座して待っていた、そんな夏の終わりの折。野口瑠璃子氏が(『プロセカ』のミニアニメを除けば初の)主演を務め、さらには楽曲まで歌ってくれるという『Extreme Hearts』なる夏期アニメの存在を、本当に今更になって知る。3ヶ月遅い。
 これは是非とも観るしかない! こうしていわば「声モク」のような形で、やはり秋の始まりというのは夏の怠慢のツケに追われてこそみたいなところがあるなと、遠い学生時代に想いを馳せながら視聴を開始した。


 そんな『Extreme Hearts』の第一印象はというと、間違いなく「変なアニメ」だった。


「SF×スポーツ×アイドル」というごった煮にも程があるテーマ、タイトすぎる展開、突然現れるロボット、対戦チームのメンバーのメガネが変、あと作中のなにもかものフォントがダサい……とにかく、予備知識ゼロで挑んだ一端のオタクを困惑させるには十分な出足だった。(一方でFirst 2の関係性を1話でバシッと提示したり、教室に入るまでの僅か数秒のカットで主人公の境遇を端的に表現してみせるなど、この時点で光るものはあった)


 しかし視聴を進めるうちに、個性豊かなハイパースポーツアイドル達が思うままに羽ばたいていく様に心を打たれ、作品の持つ「熱」に少しずつ、されど確実に取り込まれていく自分に気付く。


 無論、ストーリー自体もそれはもう、右肩上がりに面白くなっていくのだが……。それ以上に、この冗談みたいな世界を真剣に生き抜く魅力的なキャラクター達と、その存在の輪郭を追究せんとする作品の姿勢そのものに、アニメ視聴における最も根源的な感情ともいえる、強い愛着と敬意を抱いていたのだ。


 そして迎えた最終回──『Extreme Hearts』という作品が綿密に積み上げてきた仕掛けの全てが結実する最高の視聴体験を前に、私は言葉を失うばかりだった。
 興奮冷めやらぬ中、第1話の再生ボタンに手を伸ばす。視聴を繰り返す度に圧縮されきった高密度の情報が少しずつ解けて噛み合い、主題に対する強固な一貫性や随所に光る映像や音声に構成をひっくるめたアニメーションとしての上手さを理解させられ、でも時々やっぱりなんか変だよ!となりつつも、心の底から満たされていく感覚に確信する。
 このアニメ、めっっっっっっちゃくちゃ面白い!


 いつしか私は、『Extreme Hearts』というスルメの味が忘れられなくなっていたのだ。


 そして今に至るまで、私の生活は『Extreme Hearts』を中心に回っていると言ってもいい。


 なんということだ。狂ったアニメを観ていたと思ったら、気付けば私の方がこのアニメに狂わされていたのである。


 かくして年度代表アニメならびにJSidetail顕彰アニメの座に収まった『Extreme Hearts』という作品を、葉山陽和という少女を、ひとりでも多くの人に知ってもらいたい──私自身、惜しくも放送当時に『Extreme Hearts』をキャッチできなかった身として、この無冠の名作を広く共有すべきだと思い、こうして筆を取った次第である。あらすじおわり。


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何のアニメかよく分からないキービジュアルが特徴的。

 改めて『Extreme Hearts』(エクストリームハーツ)とは、TOKYO MXならびにBS11にて2022年夏季より放送された全12話からなる1クールアニメである。『リコリコ』や『エンキス』といった錚々たる面子が集うドヨルの深夜帯にひっそりと放送されていたらしい。めちゃくちゃ起きてた時間やんけ……
 監督は西村純二(あえてTL向けに言うなら『カラパレ』の人)。原作および脚本は『なのは』シリーズの都築真紀氏が手掛けている。

5という数字は美しい


 現在、dアニメストアやAbemaTVなどのアニメ配信サービスにて全話見放題配信中だ。

animestore.docomo.ne.jp


 まずは『Extreme Hearts』がどういったアニメなのか。物語の導入部分とその一風変わった世界観について、軽く紹介していこう。


 2048年──我々の住む現代から見て少し先、テクノロジーが大きく発展した近未来の日本。人々の生活や医療をロボット技術がサポートし、人間の身体能力を補助・強化するアイテム・エクストリームギアが普及した世界。
 春も半ば、音楽系若手女子芸能人が一堂に会しライブステージを賭けてハイパースポーツで競い合う夏の祭典「Extreme Hearts」の地区予選大会の開催が間近に迫っていた。


 何やらのっけから胡乱な文字列が飛び出してきたが、ここで、アイドルアニメ戦国時代に息づく『Extreme Hearts』最大の特徴であるハイパースポーツと、物語の主な舞台となるスポーツ大会「Extreme Hearts」についても説明しておく。ややこしいな! 以下、作品名と区別すべくカナ表記とする。


(もっとも、ある程度は器と乳のデッケェ聖人が1話で解説してくれるので、この辺りはざっと読み飛ばしてくれても構わない。)


「ハイパースポーツ」とは、身体補助装備・エクストリームギアの台頭によって生まれた『Extreme Hearts』の世界観を象徴する競技であり、身体的なハンディキャップを埋め、誰でも超人的なパフォーマンスによる白熱した試合を楽しめる大衆向けのスポーツとして、老若男女を問わず親しまれている。
 これ自体がスポーツに人生を捧げていない少女達の真剣勝負にケレン味を持たせ、「タレント業と並行して行われるスポーツ」という一見無茶苦茶な、それでいてこの作品の掲げる理念において大事な設定を押し通すためのギミックとなっている。
 面白いのが、アスリート達がその身一つで頂点を目指す馴染み深い現代スポーツの延長線上にある「リアルスポーツ」とは分化した、限りなくホビーやエンタメに近い競技という劇中の立ち位置。ハイパースポーツが発展した世界であってもリアルスポーツの権威が損なわれることはなく、ハイパースポーツで活躍した選手がそのままリアルスポーツでも結果を残せるとは限らないし、リアルスポーツで積み上げてきたノウハウはハイパースポーツにおいても明確な強みになるもののやはり根っこの部分で勝手が違うというパワーバランスの是正であり、何よりこの作品がスポ根的な努力と勝利を描きながらも、あくまでスポーツの「娯楽」としての側面をこそ賛美していることの証左でもある。(つまり『Extreme Hearts』は本質的にホビーアニメの節があるので、バッティングセンターで170キロを撃ちまくる女や小学生の頃からリンゴを素手で握り潰せる女がその辺を闊歩していたり、スポーツ歴3ヶ月の高校生歌手が生身で中学生の後輩をおぶったまま海の浅瀬を光の速さで疾走していても、おおらかな気持ちで受け入れるべし。)


 そして、そんなハイパースポーツの大会の中で最も注目を集めているのが、音楽系若手芸能人による複合競技大会「エクストリームハーツ」。
 トーナメントを勝ち進むにつれてライブステージの権利や楽曲販売の契約といった様々なプロモーションが執り行われるのだが、我々の世界でも毎年層を問わず盛り上がりを見せるスポーツ観戦の延長線上にあるため勝利チームの注目度は非常に高く、基本的に出場選手はそれを目指して戦うことになる。
 複合競技大会を謳うだけあって、各試合毎に異なる種目に臨まなければならないのがエクストリームハーツの特徴だ。フットサルから野球までなんでもござれというその特殊な背景から、時には競技に必要な人員や練習相手を大会の規格に合わせて性能を制限されたプレイヤーロボットで補うことも。
 エクストリームハーツそのものが、音楽会社による新人発掘オーディション的側面とアイドルを起用したプレイヤーロボットやエクストリームギア等の工業商品の宣伝を兼ねたスポンサーありきの興行である……というふうに、一見突飛な設定に反して根の真面目さが垣間見えるギャップもこの作品の面白いポイントだ。



 この物語のスポットライトを浴びるのは、そんな饗宴の舞台とはかけ離れた世界で、たったひとつの夢に邁進する一人の少女。
 葉山 陽和はやま ひより。中学生の頃にプロデビューが決まり、北海道から単身上京してきたシンガーソングライター。
 ミニマルに切り詰めたプレハブ小屋を拠点に、学生生活を送りつつ配達のアルバイトをしながら懸命に活動を続けていた彼女だったが、リリースされた楽曲の売り上げは芳しくなく、オーディションも落選続き。与えられる仕事は歌手としてのものではなく、店舗営業や成功者達の仮歌収録ばかり。


 それでも、自分を応援してくれる数少ない(唯一と言ってもいい)ファン・小鷹 咲希こだか さきの支えを糧としてひたむきに努力を重ねていた彼女の夢は、高校2年生の春、所属事務所からの契約終了といった形であっさりと手折られることとなる。



 葉山陽和(左)と小鷹咲希(右)。物語を通して貫かれ続けるふたりの約束と覚悟に、関係性のオタクも唸ること請け合い。ちなみに、カップリングとしては咲希が左で陽和が右だと思われる。


 華奢な身体にのしかかる重たい現実。しかし、手紙の内容にはまだ続きがあった。音楽一本で生きてきた彼女とは無縁の、知る由もなかった勝負の世界。されども名もなき花にも陽を注ぐ希望の舞台──「エクストリームハーツ」への出場を提案されるのだった。


 失意と恩義と、さまざまな思いに揺れる中。それでも夢を終わらせたくない陽和は、一縷の望みを懸けてエクストリームハーツへの参加を決意する──が、一般論として、幼少期から己の人生を歌手という夢へ捧げてきた彼女に、厳しい勝負の世界で栄光を勝ち取る見込みはゼロに等しい。
 無謀と言うほかない陽和の決断は、報われない彼女の活動を献身的に支えてくれていた咲希にさえも否定されてしまう。


 それでも、この挑戦の先に輝ける舞台が、大切な人に再び歌を届けられる日常が待っていると信じて。
 今度こそ誰からも支持されることのない孤独な戦いへと、身を投じていくのだった。


『Extreme Hearts』はそんな灰被りの歌姫が、かけがえのない仲間達と出会い、夢を叶えていく軌跡を切り取った青春活劇である。


 併せて、スポーツという未知の世界へと果敢に飛び込んでいく陽和の姿を通じ、さまざまな事情から夢と距離を置いたアスリート達が新たな輝きを見つけ、再起していく姿も描かれる。


 イロモノめいた絵面や設定こそ数あれど、描かれるのは実にシンプルな都築作品らしい友情・努力・勝利。
 SFナイズされた舞台設定とは裏腹に、等身大の少女達がプリミティブな苦悩や葛藤を乗り越え新たな一歩を踏み出す。リアルとはかけ離れた世界で、人と人とが繋がり、己と向き合い、大切を増やしながらちっぽけで壮大な夢を現実にしていく、王道ド真ん中のスポ根アイドルアニメだ。

 競技では頼りになる仲間達も、芸能活動では陽和に一から十までを学んでいく。芸能では一日の長がある陽和も、競技方面では周囲に支えられながらチームに貢献すべく必死に、しかし心の底から楽しんで努力する。
 スポーツ×アイドルという制約が意外なほどにスパイスとして機能し、相互に作用していくのも『Extreme Hearts』の魅力のひとつ。
 スポーツの純粋な楽しさと爽やかさをまっすぐに描く一方で、スポーツのみに傾倒してはいないタレント達の物語ならではの温度感もまた妙味だ。昨日の敵は今日の友を地で行くご近所付き合い的な交流と連帯の広がりが、崖っぷちから始まった陽和たちに刺激を与えていくのがとても楽しい。青春の中で紡がれていく少女達の関係性や、出会いの度に映像が変わるEDも必見。
 スポーツに勝敗を委ねることにより、少女達の本懐たる自己表現としてのライブステージと客観的優劣を分離した後腐れない作劇に成功しているのも、アイドルアニメとしての一種のイノベーションと言えよう。
 ハイパースポーツやライブシーンの作画は一部の引きの絵を除いて全て手描きとなっており、枚数こそ多くはないものの限られたリソースを上手にやりくりしてメリハリの効いた映像に仕上がっている。


 総じて『Extreme Hearts』は自ら掲げた過積載気味なテーマと正面から真摯に向き合い、ものの見事に昇華してみせた素晴らしいアニメだった。
 2022年は特にオリジナルアニメが強かった年という印象があるが、この『Extreme Hearts』もそれらに埋没することのないビビッドなフィルムに仕上がっている。


 ……と、ここまで『Extreme Hearts』の持つ高い総合力について書き連ねてきたが、何せ『Extreme Hearts』は本当に色々なものが詰まったアニメなので、まだまだ語りたいことは沢山ある。
 筋書きそのものは至ってシンプルな青春サクセスストーリーが、如何にして私の心に楔を撃ち込んだのか──何が『Extreme Hearts』を忘れられない「体験」たらしめたのかについて、もうしばらく私の拙文に付き合っていただければと思う。



 やはり、この少女なくして『Extreme Hearts』は語れまい。
 私含め数多の『Extreme Hearts』視聴者を骨抜きにした2022年アニメのヒロイン・オブ・ザ・ヒロインズ・オブ・ザ・ヒロインズこそ、この物語の主人公にしてチーム「RISE」のリーダー・葉山陽和である。



 かわいい! ちなみに本作には萌え・オブ・ザ・萌えズ・オブ・ザ・萌えズのマネージャーロボットちゃんも登場します。


 チームスポーツやアイドルグループに焦点を当てる上で群像劇の形式を取るタイトルも年々増えていく中、『Extreme Hearts』は明確にこの葉山陽和を中心とした、葉山陽和のための物語を描いていく。そもそもRISEのメンバー自体が、シンガーソングライター・葉山陽和を夢の舞台に押し上げるという志の元に集う仲間だからだ。


 アスリートとしての下地も芸能人としての後ろ盾もない、ゼロからのスタートでありながら決して弱音を吐かず一意専心努力を重ねる陽和の芯の強さと新しい挑戦を純粋に楽しむ胆力は、やがて彼女の下に集うチームメイトのみならず共に地区大会を争うライバル達にまで好影響を与えていく一方で、レンズ越しに映る彼女の人物像はポジティブに周囲を牽引していくヒーローではなく、ストイックで大人びた、それでいてどこか放っておけない儚さを帯びた等身大の少女である。


 担当声優である野口瑠璃子氏は陽和を演じるにあたって、当初「プラスもマイナスも表に出しすぎない」「もっと落ち着いた感じに」と繰り返しディレクションを受けたと語っている。不幸な声質(なんちゅう言い草だ)がキャスティングの決め手となったエピソードからも、逆境を始まりとする葉山陽和という人物のコンセプトが伺える。


 挑戦の始まりとともに陽和が掲げる「昇っていくしかない」の標語に偽り無く、『Extreme Hearts』は過度にウェットな話運びをしないつくりになっている。
 未知への挑戦を全力で楽しみながら走っていくRISE達の姿が実に爽やかな読後感をもたらしてくれるのだが、息つく暇もない青春の日々の中で、こと主人公である葉山陽和の内情は意外なほどに語られない。温和で人懐っこく、それでいて謙虚さと強情さが絶妙なバランスで同居した少女の腹の底を隠したまま、物言わぬスポットライトが彼女の姿を捉えていく。


 しかし、そこはシンガーソングライターの少女を柱石として掲げる『Extreme Hearts』。そんな葉山陽和が表情を覗かせるツールの一つとして、彼女自ら作詞・作曲を手掛けたという設定のもと劇中で披露される楽曲たちがある。


 特に、葉山陽和個人名義の楽曲は切迫した彼女の現状を赤裸々に映し出す、エンターテインメント性に欠けた不器用な叙情詩(だからこそ、孤独と挫折に壊されかけたひとつの幼い心に寄り添えたのだが)というコンセプトを元に都築真紀氏自らの手によって書き下ろされており、そこから仲間やライバル達との関わり合いの中で刺激を受け、さまざまな感情と出会うことで少しずつ歌詞が外向的になっていく様子や、作詞家としても表現の幅が広がっていく……といった、血の通った変遷が描かれる。*1一方で、ラブソングを書けば河川敷から始まる恋の歌が出力される純朴さもまた彼女の魅力と言えよう。
 そもそも歌手志望なのにアイドルを?という、OPやキービジュアルを前に浮かび上がるであろう疑問も含めて、彼女の音楽活動にフォーカスしてみるのも面白いだろう。


 陽和がああまでして歌にしがみつこうとするのは何故か。夢に見放されたはずの彼女を、何がそこまで突き動かしてくれるのか。
 ソロシンガーとしての葉山陽和が歌う最後の曲──高架下のライブ会場で大切な人へと捧ぐ歌に、その源泉を垣間見ることができる。


 彼女はこの目まぐるしい青春の日々の中で何を思い、どんな言葉を綴っていくのか。そしてその言葉が、誰に届いていくのか──
『Extreme Hearts』を視聴するということは、葉山陽和というかたくなな少女を、彼女の友人や観客たちと同等の視点で見つめ、思いを馳せ、歴史を辿っていくことと同義と言ってもいい。
 そんな彼女の生き様と真摯に向き合った時間を、この作品が決して裏切らないことを約束しよう。


 さて、ビジネスの世界では思う評価を得られず辛酸を舐め続けてきた陽和だが、幼い頃から研鑽を重ねてきた歌の実力は折り紙付きだ。
 これは中学生にしてプロデビューを果たしたという作中の設定のみに留まらず、やはり葉山陽和を演じる野口瑠璃子氏の有無を言わせぬ歌唱力が、葉山陽和の物語にこれ以上ない説得力を与えている。
 葉山陽和がRISEの中心であるように、野口瑠璃子氏の歌声と時に鬼気迫るような芝居が『Extreme Hearts』という作品を支えるMVPと言っても過言ではないだろう。
 実に烏滸がましい話だが、この作品を通じて野口瑠璃子氏に対して膨れ上がった「もっと売れてほしい」という気持ちが、陽和に対する咲希の思いと重なって見えたのも、私が『Extreme Hearts』と葉山陽和から抜け出せなくなる要因の一端を担っていたのかもしれない。


 や、あの……野口瑠璃子さんの歌声は本当に……本当に良いので……是非他の曲も聴いていただけたら……
https://open.spotify.com/playlist/2QHq0iVzalxXaQ2JBBVPcl?si=H21WifkzT9CQfoC5Px2Ekg



『Extreme Hearts』は一本の柱にあらず。葉山陽和が夢を叶えていく過程をまっすぐに描いたTVアニメ本編に花を添える副読本たるコンテンツの存在も、本作を語る上で絶対に外せない要素である。


 その筆頭となるのが、公式チャンネルにて公開されている短編サイドストーリー『Extreme Hearts S×S×S』だ。

youtu.be

 TVアニメ本編各話の補完となるサブエピソードに第1話の前日譚を加えた全13話からなるショートムービーで、主人公・葉山陽和とたった一人で彼女を支え続けたファン・小鷹咲希が高架下のひとときを共有するようになるまでの経緯が描かれているほか、各回で登場人物が胸中に秘めていた想い、ご近所付き合い的なライバルチームとの交流、特殊な世界観を息づかせる舞台背景の補完や選手達の覚悟と、本編の解像度をグッと高める「横軸」のエピソードがふんだんに盛り込まれている。
 紙芝居形式の、少々退屈に思えるかもしれないつくりではあるが、TVアニメが描く「縦軸」を通して『Extreme Hearts』という箱を構成する要素の何かひとつでも胸に突き刺さった方には、ぜひとも門戸を叩いてみることをオススメする。



『Extreme Hearts』と私たち視聴者を繋ぐツールとして、陽和やRISEのメンバーが投稿しているとされる公式ブログも欠かせない存在である。

exhearts.com

 こちらは登場人物の情報発信の場として、TVアニメ本編よりも前に陽和が個人で投稿した記事を通して彼女の背景が垣間見える「葉山陽和のBlog」と、RISEメンバーの裏話も兼ねてTVアニメの放送と並行してリアルタイムに更新されていた「RISE BLOG」の2つから構成されている。
 本編でもRISEの面々がブログをチェックするシーンが見られるなど、明確に作品世界とリンクしている要素であり、劇中で披露された楽曲の配信URLがホームページ用の試聴リンクという体で公開される粋な計らいも。
 キャラクターがSNSをやっているという設定で場外演出にメディアを活用するコンテンツは昨今では珍しくないが、こちらはブログというある種閉鎖的で自由度の高い媒体を通じ、物語の進行に合わせてリニューアルされるサイトデザイン知名度に比例して増加するインプレッションといった軌跡を追っていく形となる。一世一代の悲報すら見向きもされないソロシンガー時代の閉塞感から、少しずつあたたかく世界が開けていく感慨は、何とも言い尽くせないものがある。陽和所長が途中で乱心して我はメシアとか書いてなくてよかった。
(本編以前の時系列となる最初のページを除き、TVアニメ本編1話につき1ページ更新される形となっている。)


 陽和の変化とともに表情を変えていく楽曲たち、サイドストーリーによる贅沢な掘り下げ、作中の登場人物が投稿している体で本編と並行して更新される公式ブログ。
 あらゆる媒体を活用し物語を息づかせる数々の仕掛けが『Extreme Hearts』という箱に立体感を与え、没入感をもたらし、RISEの、葉山陽和という少女の、アーティストのファンになるという「体験」を彩ってくれるのだ。


 物語の最終章で描かれる、全ての「体験」が収束するライブステージは、まさしく視聴者とRISEが共に走ってきた時代の総決算に相応しい。


 かつて孤独の中で灰を被っていた少女の瞳に映った景色。葉山陽和が見る、葉山陽和が見せる幾千の光。
 その全ては、是非この拙文を読んでくださった皆様の目で……一人のファンとして客席に立ったあなたの目で、見届けて欲しい。



 誰かの存在が、誰かの声が、夢を諦めずにいられる力になる。


 歌を聴いてくれるファン。パスを受けてくれるチームメイト。投球を受けてくれるバッテリー。想いや願いを受け止め、受け入れてくれる人々。
 本作では、受け手なくして送り手成り立たずという感性が、劇中を通して貫かれている。
 どんなに価値のある原石であっても、それを拾い上げ、磨く者がなければ路傍の石と変わらない。


 数え切れないほどのコンテンツが次々と生まれては忘れられていく、エンターテインメントには事欠かない現代。
『Extreme Hearts』はきっと、万人の心に届いて震えさせるような、輝けるダイヤではない。
 それでも、拾い上げた者の心をひときわ強く掴んで離さない宝石になり得るアニメだと、私は信じている。
 まるで、いつか青空に届くと信じて叫び続けた歌姫のように。


 どうか拾い上げ、磨き上げ、そして感じて欲しい。
『Extreme Hearts』という「体験」を。
 葉山陽和と共に生きる「時代」を。



 願わくば、陽和先輩の優しい歌が、一人でも多くの人に届きますように。



*1:だからといってソロ時代に売れなかったこと、ユニットになって売れていくことの軸がその変化にある……といった描かれ方はしないことをあらかじめ断っておく。「万人ウケしない曲」というのはやはりコンセプト段階で意識されている(作家インタビューより)ものの、咲希や後に登場するキャラクターはソロ時代のリリックを高く評価しているし、そもそも陽和はプロに一定の才能を認められ一度はデビューという成功を果たした身である。この作品の掲げるテーマが見えてくれば、自ずと陽和のソロ時代の不振の理由もそこに紐付いてくるように思う。

夢への階段は、帰るべき場所へと繋がっている──TVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第12話『花ひらく想い』感想

 題名の通り、TVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第12話を観た。思春期中期を生きる少女の人生が変わる特別な瞬間を力強く、爽やかに切り取るビビッドな仕上がりに息を呑んだ。それはそれとしてハマったカップリングが決別するシーンを見るのが辛すぎて観直すのに4日掛かった。

 他愛のない前置きは早々に切り上げ、本題に入ろうと思う。

 

 最高の”今”を、その先の”未来”を謳うことで、零れ落ちてしまう”過去”があるのではないか。

 ”大好き”の衝突から始まった、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の解体と再構築。その縮図を個人間で描きなおす第12話は、まさしくスクールアイドルフェスティバル開催に向けた本作の「結び」を飾るに相応しいエピソードだった。

 

 過去と未来、幼さと成熟、あなたとみんな。いずれか一方を是とするのではなく、複雑に絡み合って諦められないそれこそが思春期のスケッチなのだと。停滞と前進の狭間で身じろぎする上原歩夢さんを一種の"正しさ"に引き上げるのではなく、ただその胸に宿る”大好き”を解きほぐしてそっと背中を押す、虹ヶ咲らしい優しい筆致。前向きであたたかく、それでいてどこか切なさが香る、ジュブナイルの真髄を見た。

 以下、感想文の書き方をすっかり忘れてしまった哀れなオタクの、読解ともつかぬ文字起こしめいた雑感を書き連ねていく。

 

 

 事件の翌朝。昨夜の出来事が嘘のような青空と、されど厳然たる事実として残された爪痕と共に、フィルム缶の封は切られる。

 

 知っての通り、Bパートで明かされる上原歩夢さんの本心、本話の争点は11話までの物語で私含め多くの視聴者が想定していたであろう公平性と独占欲の二項対立ではなく、自らもまた公平性に向かいつつあることを上原歩夢さんがすでに自覚しているがゆえの、アイデンティティの崩壊、不明瞭な未来への恐れ、羽化への葛藤である。思えば10話のプールサイドのシーンでおそらく暗喩として描かれた「高咲侑さんと上原歩夢さんの背後で離れゆく浮き輪」という構図においても、停滞する一方が取り残されるのではなく、両極の磁石のように二者が遠ざかるヴィジョンが投影されていた。

「私、ゆうちゃんだけのスクールアイドルでいたい。だから、私だけのゆうちゃんでいて?」

 この真意は文字通り「ゆうちゃんだけのスクールアイドル」でなくなろうとしている自分を「あなた」に過去から繋ぎ止めていてほしいという懇願。一本の足を縋るように挟み込む両の足──高咲侑さんの歩みを封じ留める足枷は、その実彼女を縛ることで他でもない自分自身を過去に押し留めるものだったのだ。

 歩夢を見ていればそれで満たされていたはずが「みんな」を応援する楽しみを知り、広がる世界の中で自分も変わりたいと望む高咲侑さんと、ゆうちゃんだけに見てもらえればそれで満たされていたはずが「みんな」に応援される喜びを知り、広がる世界の中で自分が変わってしまうことに戸惑い、怯え、立ち竦む上原歩夢さん。なんとも皮肉な対比である。

 

 そして、不意に鳴ったスマートフォンのバイブレーションにより上原歩夢さんは激情を潜め、一方的な「正しさ」を取り戻してしまう。

 理性からの警告に喩えられるこの振動音は諸説あるが、上原歩夢さんの懸念から逆算するに「少なくともベッドで組み伏せられている高咲侑さんからもたらされた通知ではない」ことが肝要だと考える。コンタクトツールは他者との繋がりを否応無しに可視化するものだ。二人ぼっちに沈む自分だけが本当の私だと思い込んでどんなに目を塞いだとしても、今更消すことなどできない、上原歩夢さんの中に芽生えてしまった「みんな」の存在が、外へ向き始めた気持ちが、閉じた世界の停滞に留まることを許さない。クソゲーのスタミナ全回復通知とかだったらどうしよう……)

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194202p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 非日常に触れようとする高咲侑さんに腕を絡ませ、強引に日常へと引き戻す上原歩夢さん。階段の下で平然と交わされる「おはよう」が、一見恙無く進行している日常に、どうしようもなく噛み合わない不気味さを感じさせる。

 思い返してほしい。第1話で示された、二人の一日の始点はどこであったか。出ないモーニングコール、メッセージアプリの通知音にほんの少しだけ弾む表情、隣り合ったベランダで交わす「おはよう」──そこに二人の「あたりまえ」を見ていたのではないか。(振り返るたびに強く思うが、たった数十秒の描写であれほどまでに「幾度も繰り返された生活描写」の質感を抽出しているのは本当に凄まじい。)

 たった一歩、されど一歩。決定的に合わない歩幅が、歯車の軋む音が胸を締め付ける。

(驚くことに)TVシリーズ12話にして初めて、上原歩夢さんがモノローグに乗せた想い。「離れたくなんて、ない」──「離したくない」「離れないで」を含みながらも、入り交じった感情から彼女が選んだ言葉は変わっていく自分自身に向けられた怯えであり、祈りだ。

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194110p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 ファンの応援を素直に受け止められず一人足踏みする上原歩夢さんを捉えたカットにはずっと遠く閑散とした、世界に取り残されるような孤独な情景が滲む。上原歩夢さんが「みんな」との”これから”を想えば画面奥のゆりかもめが前向きに進み、「あなた」との”これまで”を想うと逆行する、細やかな心情描写が走る。

 激情の発露として幼馴染を押し倒した一件を恥ずかしいの一言に丸める豪胆さには思わず口角が上がってしまうが、「幼さ」を内包しながらもそれを「幼さ」だと自認し恥じてしまう、変容の過渡期にいる彼女の半端な精神成熟がここにも表れている。 

 その後の攻防戦と一時撤退までの流れは、明暗のコントラストや役者の演技力も合わさり非常に緊迫感のある仕上がりとなっていたし、牙城を崩せず目を伏せる高咲侑さんが上原歩夢さんに掛ける言葉が「行こっか」なのがまた良い。

 上原歩夢さんは自分の知らない輝きを拾い上げてくれた何人ものファンを、「新しい大好き」を置いて過去には戻れないし、高咲侑さんもずっと昔から目の前で輝いていてくれたたった一人の幼馴染を、「変わらない大好き」を置いて未来には進めない。上原歩夢さんが立ち止まれば高咲侑さんもまた足を止めて振り返る、ふたりはそういう関係性で進んできたのだ。

 

 翌朝、高咲侑さんからのメッセージに重い身体を起こす上原歩夢さん。冒頭では「みんな」からのメッセージ(仮定)に目を覚ました上原歩夢さんが、Bパートでは「あなた」からのメッセージに(字義通り)目を覚ますという構図も、振り返ってみれば見事な伏線である。

「どうしたらいいのか、わからないよ……」

 リアタイで見てたオタクもどうしたらいいのかわからなかった。

 

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f:id:kiraramax360yen:20201224194448p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 眼前に広がる景色を、夢を、”大好き”をまっすぐに見据えて進んでいく優木せつ菜さんと、俯き、迷い、足を止める上原歩夢さん。対照的な両者を、点字誘導ブロックが隔てる。

 ついに溢れた上原歩夢さんの本心の前に、不器用なほど一直線な、飾り気のない情熱の拳が突き出される。

 胸に灯ってしまった”大好き”という炎は止まらない。止められない。優木せつ菜さんはそれを誰よりも知っている。

 そして”大好き”を信じ貫いて生きる者は、時に残酷なほど眩しく、輝いている。上原歩夢さんはそれを誰よりも知っている。

「なりたい自分を我慢しないでいいよ  夢はいつかほら輝き出すんだ!」

 上原歩夢さんと高咲侑さんの、スクールアイドルをめぐる物語の原点。あの日の抒情詩が、今再び背中を押す。自分では信じられなかった未来のトキメキを、夢をくれたヒーローの確かな軌跡が教えてくれる。(優木せつ菜さん、アニメっぽい仕草をすると途端に「うわアニメっぽい仕草だ!」と若干ウケてしまうところまで含めておいしいキャラクターなんだよな……)

 点字誘導ブロックを踏みしめ、先の見えない未来へと走り出す。動き始めたなら止めちゃいけない、我慢しちゃいけない──いつかの言葉が、青信号が、転回禁止の標識が、彼女の前進を祝福する。

 たとえ進む先が違ったとしても、未来行きの切符はお揃いのフレームの中で風に揺れている。

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194534p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 そうして、ふたりは夕景のもとに再び並び立つ。

 ザ・人工物!な夢の大橋の(ひいては、TVシリーズを通して舞台となるお台場周辺の)景色の中で上原歩夢さんの登壇を待ち受ける花盛りのステージ、この画をお出しできた時点でニジガク12話は「勝ち」みたいなところがある。

 ”フラワーロード”とは言うまでもなく「花道」であり、花道とは舞台から同じ高さで客席を縦断する通路を指す。以上ウィキペディアより。

 花道の中に立つ三者が三叉路によって別々の場所に立っている(そして、高咲侑さんだけがファンと第三の道の境目にいる)のは宗教画めいたカットの多い本エピソードでも取り立てて象徴的な構図だと思う。否応なく分かれ、でも確かに繋がっている愛の道。

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194932p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 陰影、標識、パスケース、先述の三叉路。あえて多くを語らず、青春の声を聞く少女達の心の機微を静物や明暗に委ねる手付きは、本エピソードでも健在だ。確かな熱情が静謐に燃えゆくフィルムの中で、一見無粋にも映る花言葉の開陳は、しかし上原歩夢さんと高咲侑さんが前に進むうえで絶対に必要なものであったと思う。*1

 言葉でなくとも隣にいられたからこそ。言葉にしなければ伝わらないものを、言葉にするだけでは伝わらないものを、今度こそ取り零さないために。

 最愛の君に一番伝えたい言葉を、花に添えて贈るのだ。

 

f:id:kiraramax360yen:20201223160537p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

「みんな」から手渡される〈新しい愛〉。たった一人の「あなた」から手渡される〈変わらない愛〉。二人きりだった過去も、広がっていく未来も、すべてを愛する。暗がりの中でたった一人を包んでいた上原歩夢さんの両の腕が、今こそ遍く”大好き”を抱き締める。かつて「自分に素直になりたい」とステージで夢を語った少女。好きなものは好きだと、欲張りな愛の花束を掲げる今の彼女に、その満開の笑顔に、誰がノーを突きつけられようか。

 走り出した時計の針は止まらない。青のカーネーションが咲き誇るあの景色には、もう戻れない。

 涙雨が上がり、ガーベラとローダンセは虹に咲く。

 

「今日は歩いて帰ろう」

 ふたりで同じ道を往復する、定期券が紡ぐ日常のルーティンから外れ、自らの足で新たな一歩を踏み出す。「みんな」で進むことを恐れないと決めて、しかし今日この日は公共車両を離れ「あなた」の側に立つ。夢を見て変わっていく中で、それでも変わらずに隣を歩く。

 

「前に進むって、大切なものが増えていくってことなのかな」

「そうかもね。……でもさ。歩夢を最初っから可愛いって思ってたのは、私なんだからね」

 本エピソードのパンチライン。高咲侑さんの幼馴染マウントが見られて……嬉しい!

 まだまだ未熟で幼い私だけど、もう二人ぼっちに閉じこもる幼いだけの私には戻れない。それはきっと前向きで、されど一種の寂しさを孕むものなのだと思う。それでも未来と過去は地続きであり、決して失われないものはここにある。”大好き”は、いつだってあなたの側にある。

 

f:id:kiraramax360yen:20201224194906p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 いつか見た夜景の再演。すべてが始まったこの場所に立ち返り、もう一度たったひとりの「あなた」のために捧げるステージ。

「あなた」という風に包まれて、明日へと繋いだいつかの夢。昨日と違う風の中で、新たな約束が目覚める。私は「みんな」の為に歌う──けど、ずっと、思いは繋がってるから。

 二人きりだった過去に「ありがとう」。二人だけじゃない未来に「よろしくね」。二人三脚で始まった夢は一度結ばれ、新しい二つの夢が動き出す。

「お揃いのパスケース」は、あくまで「それぞれの切符」を収めるための器だった。二つのパスケースに一つの乗車券を収めておくことは、どうしようもなく叶わない。しかしあの日上原歩夢さんが贈ったパスケースはもう、定区間を巡る停滞と二人を繋ぎとめる手枷にはならない。

 それぞれの乗車券が変わっても、ふたりの進む道が違っても、パスケースは使い続けることができる。牽強付会かもしれないが、それこそが作中においてモチーフを二転三転させてきた「お揃いのパスケース」の行き着く先なのだと私は思う。器なればこそ、別々の切符を収めながらも不変かつ共通のフレームとして二人の側に在り続けるのだ。

 

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f:id:kiraramax360yen:20201223150202p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

 上原歩夢さんが高咲侑さんの目の前で二度駆け上がり、同じ位置に降り立ち、そしてふたりで歩み直す自宅マンション前の大階段。始まりと終わりと、新たな始まりのステージ。それは夢へのステップであり、きっと個と個の分岐点。でもその先にはいつだって、ふたりの帰る場所がある。

 未来永劫失われることのない、愛する幼馴染との繋がり。それぞれの切符が別々の場所へふたりを運んでも、「変わらぬ想い」がある限り私達は帰ってこられる。大切な誓いを胸に少女達は片手を取り合い、夢への一歩を踏み出す。

 

f:id:kiraramax360yen:20201223145640p:plain(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第12話より)

「曲作りにチャレンジしてみたんだけど、今の私にはここまでが精一杯」

「そんなことないよ、ゆうちゃん」

「えへへ、そう?」

「とっても素敵だと思うよ」

 照明の点いた自室にてたったひとりに夢を奏でる高咲侑さんが口にした言葉は、紛れもなく1話の上原歩夢さんを踏襲した台詞である。

 今はまだ自分一人に向けられた演奏を、彼女の未熟な精一杯を、上原歩夢さんは素敵だと言う。その肯定はきっとまだ未熟な自分自身を、かつて一足先に夢のスタートラインに立ったあの日の自分さえもを救ったのだろう。

 11話では焦点が合わず、見切れていた幼少期の写真。永遠を無邪気に誓い笑っていたであろうその表情を見失っていた、二人の原点。

 決して揺るがない永遠を見つめ直し、新たな誓いで結ばれた少女達の傍らには、あの頃と変わらない愛が鮮明に咲き誇る。

 

 どこに向かうかはまだわからないけど、面白そうな未来が待ってると笑いあえる君がいる。

 いつの日にかきっと咲かせましょう、大輪の花。

 

 

 というわけで、超絶面白かった虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会。総括するには少々気が早いが、20年代の始まりを告げる年の末に良いものを見たという確かな実感がある。筆者のアニガサキ以前のラ!の思い出は無印の劇場公開合わせで発売された風味がゴム風船みたいなエースコックラブライブラーメン玉ねぎ味だったため、令和の世にこのような形で出逢い直せて嬉しい限りだ。

 正直なところ、「ゆうちゃんがいないと一歩も動けない上原歩夢さん」が死んでしまったことに寂しさを覚えないと言えばやはり嘘になるし、これが上原歩夢さんの歩むべきたった一つの選択肢だとも思わない。(上原歩夢さん自身も──キャラソン本歌取りだが──「私達の答えはまだわからない」としている。)だが、変わってしまう関係性の中で変わらないものを胸に上原歩夢さんが前に進むと決めたこと、その意志は心の底から尊く、祝福すべきものだと思う。

「大人になるってことは 何かを諦めることじゃない きっと…」とは、思春期初期の少女が抱く幼さをそのままに力強く肯定するTVアニメ『Re:ステージ!ドリームデイズ♪』第9話挿入歌「ステレオライフ」の一節だが、思春期中期の成熟がやがて置き去りにするものを描いた上でそれでも譲歩しなくていい愛しさを拾い上げるアニガサキ12話にも、今こそこのフレーズを贈りたい。

 憂いは晴れ、花は咲き、役者は揃う。12週に渡って客席から見上げてきた虹ヶ咲のアニメも一先ずは26日の最終回を残すのみとなった。ファーストシーズンの集大成たる、百花繚乱が紡ぐ虹の祭典。みんなの夢を叶える場所〈スクールアイドルフェスティバル〉(もう技名だろこれ)──その光が、先の未来をも照らすと信じて。*2

 

 

*1:あとオタクが作中で明言されない花言葉で沸いてるの見ると実際に文脈を取り入れていたとしてもそっかーとなってしまう節、ありがち。この記事も似たようなものだが……

*2:ヤダヤダ早く2期正式発表してくれ!!!の意